2006年出上 の木簡
岩手
・西 川 目 遺 跡
1 所在 地 岩 手県 北上 市 二子 町 西川 目 2 調査 期間 一 一〇
〇三 年
︵平 15︶
月四
〜七 月 3 発掘 機 関
∽岩 手 県文 化振 興事 業 埋団 蔵文 化 財 セ タン ー 4 調査 当担 者 西澤 正晴
小・ 針大 志 5 遺跡
の種 類 集落 跡
︒墓 地 6 遺 跡 の年 代 九世 紀
︒一
〇世 紀︑ 一 人世 紀 7 遺 跡及 木び 簡 出土 遺 構 の概 要 西 川目 跡遺 は︑ 北上 市 市街 地 の北 西 位に 置 し︑ 北 川上 やそ の支 流 よに
てつ 形成 され た自 然堤 防上 に立 地 す る︒ 付近 には 同様 の自 然 堤 防 沖が 積 地 より
一段 高 い地 点 と し て島 状 に いく
つか あ り︑ それ ぞれ に古 代を 中 心 すと る遺 跡 立が 地 し て いる
︒ 調査 は圃 場 整備 事 業 伴に っ て実 施 さ たれ も ので あ る︒
D
検 出 し た 主 な 構 遺 は ︑ 平
ヒ 安 時代
の竪 穴住 居 掘・ 柱立 建物
・水 田︑ 近 世 の掘 立柱
建物
・墓 墳
・井 戸な ど であ る︒ 遺跡
の中 心 は平 安時 代 の集 落 で︑ 竪 穴住 居を 主 体 とす るが 注︑ 目 さ るれ のは 三面 廂 もを
つ掘 柱立 建物 や︑ 倉庫 と想 定 され る総 柱 の掘 立 柱建 物 検が 出 さ れた こと であ る︒ 官 衛以 外 から こ のよ う 建な 物 が 見 つか るこ と は稀 であ るた め 通︑ 常 の集 落 と は性 格 の異 な たっ 遺 跡 と し て把 握 でき る︒ 近世 の遺 構 は これ ら の遺 構 と同
一面 から 検 出 さ れ るが 重︑ 複 はあ ま つ認 めら なれ い︒ 遺物 に つい ても 平安 時代 中が 心 で︑ 須恵 器 や
﹁田 主
﹂ 刻と 書 さ れ た杯 を はじ めと す る土 師 器︑ 鉄 鏃 など の鉄 製品 多︑ 量 の土 錘 など が 出土 し て いる
︒ 近 世 の遺 構 うの ち墓 壊 は 一〇 基検 出 され たが
︑ そ うの ち九 基 重が 複 し て いる 隣︒ 接 し て同 時 期 と考 え ら れ る掘 立 柱建 物︑ 井戸 位が 置 し てお り 民︑ 家 井︑ 戸︑ 墓 の構 成 がわ か る数 少 な い例 あで る︒ 木簡 は︑ 江 戸時 代 属に す る墓 媛 S ZO 五 の構 内 から
一点 出 土し た︒ 共伴 す る遺 物 には キ セ ル
・寛 永 通宝
・火 打ち 鉄 が あ る︒ 墓 壊 S Z〇 五 の平 面形 は隅 丸 方形 呈を し︑ 底 面 に方 形 の組 合 式 の 構 が設 置 さ れ て るい 木︒ 構 側は 面 の 一部 底と 面 の材 のみ 遺存 し て い た︒ ま た︑ こ の墓 媛 は重 複 す る墓 媛群 と は溝 を挟 んで 単 独 で位 置 し︑ し もか 埋葬 方向 も 九
〇度 異 な てっ いる 時︒ 期 出は 上 たし 遺物 か ら 一 人世 紀 を中 心 と した 年代 が想 定 でき る︒ 8 木簡
の釈 文
・内 容
い イ﹁ ロ﹂
﹃Ю
× 伽卜
× Po o いω
用途 不明
の木 製 容 器 に墨 書 され たも
ので あ る︒ 楕 円形 を たし 二枚 の板 を 天 底︵
︶板 と し て︑ 両者 を 木 の皮 包で み こん で︑ 容器 状 と し たも のと 考 えら れ る︒ 片側 の材 に墨 書 が︑ うも
一方 には 朱 漆 が施 さ れ て いた 遺︒ 存状 況 はあ ま り良 くな
いが 底︑ 材 の内 側 墨に 書 され て いた も のと 考 え ら るれ 腐︒ 蝕 によ り欠 失 し て るい 部 分も あ るが
︑ お そら く完 形 に近 とい 思わ れ る︒ 釈 文 では 片 仮名 と解 釈 たし が︑ あ る いは 何 ら か の記 号 の可 能性 も考 え られ る︒ いず れ にせ よ︑ 本地 域 で はあ まり 類 例 のな い遺 物 であ り 名︑ 称 用︑ 途と も不 明 であ る︒ 9 係関 文献 西 澤 正晴
・小 針大
志
﹃西 川 目
・堰 向
Ⅱ遺 跡 発掘 調査 報 告 書﹄
︵囲 岩手 県文 化振 興事 業団 埋蔵 文化 財調 査報 告書 四六 四︑ 二〇
〇五 年︶
︵西 澤正 晴︶